酒を飲みながら料理をするということについて

大学は一生付き合える仲間と出会える場所、そう聞いたことがある。 

あながち間違いではない。 

A君という、ブルースギターの上手い同級生がいた。 

私が大学生だからもう15年も前のこと。 

現在はSEとしてサラリーマンをやっている。 

私の二つ目昇進の披露目公演にも駆けつけてくれた、できる男だ。 


彼はまた料理上手で、

学生時分、大学のある埼玉県からわざわざ私の住む茨城県の家まで遊びに来て、

 そこでナポリタンを作ってくれた。

うまかった。という記憶がある。 

私には料理という概念がなかった。料理はするものじゃない。誰かがしてくれるもの。


 ところがこの自粛期間に気付いてしまったのだ。 みりんの価値に。 

そう料理が好きになった。 


当時、大学生である私には、料理の魅力はちんぷんかんぷんだった。 

だから、A君は男のくせに料理なんかに夢中になって、と変わった奴だくらいに思っていた。

 昭和のステレオタイプである。 

そんな彼がナポリタンを作りながら、なぜか、ビールを飲む。お菓子をつまむ。 

意味がわからん。 

腹が減っているのに、その料理を作っている過程で、彼は制作物以外のモノで胃を埋めようとしているのだ。 

わからなかった。ただただ謎だった。ずっと。 

しかし、その長年の謎が今日解けたのでここに書き記したい。 


彼は、料理を作ること自体を楽しんでいたのだ。 

そうなのだ。 

私の中では、料理=食欲を満たすための手段 

彼の中では、料理=創作意欲を満たす手段 


満たす欲が全然違っていた。 彼は料理を食べるためだけじゃなく、作る過程を楽しんでいた。

今思えば、彼は私の何歩も先を行っていた。 

だから菓子をつまみ、ビールを飲んで、 料理しながら、きっと心はダンスしていた。 

私はようやく、料理=目的 の感覚を解り始めた。 


ブルースギターの上手い同級生は、きっと私の何倍も人生を楽んでいる。 

きっと人生の悲哀(ブルース)もよく知っている大人だ。 

わからないけど。なんとなく、そんな気がする。 

私には哀しみが足りない。ブルースが、落語で云うなら長屋の貧しさが、掴めていない。 

いい噺家になりたいのに。 人の心の深淵を、まだ恐れて覗けていない。 

料理ひとつとってみても、今日やっと入り口に立った見習いだ。

柳家寿伴

落語協会 二ツ目